祖母と私

まだ気持ちの整理がまったくできてませんが、少し覚え書きとして残します。


はてなブログの思いは言葉に…でしたっけ?ということで思いを言葉にします。


別の記事で少し書いた記憶があるのですが、私の家は離婚していて父と祖母ときょうだいで暮らしていました。マンションの階違いに住んでいたのでたまに行き来するくらいになっていました。


一昨日仕事中の私に父から「いまいえ?」ときたので「仕事」と返し、どうしたのかな?と思っていたところ


「祖母心拍停止」


との連絡があり

気が動転し、職場なのにぼろっと泣きそうになりとりあえず上司に帰れと言われ退勤しました。


一緒に帰ってた人からも

「スタスタ歩いてたんでしょ?心配だね」と話していました。


いま私が病院に行っても何もできず

警察とのやりとりで父が部屋にいるとのことだったため私も家にいったん戻りました。


祖母の部屋の方へ行くと父が叔父と電話中で、亡くなったとの連絡でした。

部屋で倒れ、到着したときには時間が経過していたそうです。


病院へ行き叔父と叔母と霊安室で警察の話を待ち、お線香をあげました。

祖母の顔は寝顔と同じでした。

ただ、いつもふとんが寝息で動きいびきをかいているのが静かに冷たくよこたわっていました。


朝みぞおちが痛く肩がひどく脈をうつという祖母のうったえで、父と叔父で病院に連れていき検査をし、いったん少しよくなり帰ってきたそうです。

叔父がお昼ご飯も一緒に食べて帰ったあと父が祖母へ電話連絡しても繋がらず、叔父に部屋を見に行ってもらったそうです。鍵がないため警察と消防の方がかけつけてハシゴで入ってくれていました。もうそのときには冷たくなっていたようです。最後まで心臓マッサージをしてくれており、本当に感謝です。



最近では忙しいことも多く、ほとんど祖母の話を聞くことはできていなかったし

休みの日は祖母の家に寄るのも面倒くさがってピザのデリバリーにばかりハマって1人で食べてたアホな私です。


最後に話したのが電話で

「細かいお金ある?」とかかってきて

電車に乗るところで

「外出ちゃった、ごめん、また」

という会話でした。


小3からほぼ祖母に育てられた私

たくさんたくさん嫌味や憎たらしいことも言い合ってケンカもたくさんしていました。


今年インフルエンザになってもおかゆ作ってくれたりいろいろ持ってきてくれて嬉しかったな…


心配性で貧乏性や祖母

私が家を出て行くときも「いつでも帰ってきていいんだよ」と毎回実家によるとたくさんお金や食べ物を用意してくれていた祖母


恋人と一緒に住むのがダメになってぼろぼろだった私を「いつでも帰ってきていいって言ったじゃない、帰ってきな」と言ってくれた祖母(一人暮らしする!ってわがままもぎりぎりまで許してくれていました


人が亡くなると

もしあのときああしてれば

こうしてれば

と思うことがたくさんあります


でも、私は実家に帰ってきていてよかったな、とこれは本当に思います


迷惑と世話ばかりかける父の子どもたちで本当にごめんなさい。でも本当に本当にありがとう。花嫁姿もひ孫も見せられなかったけど「私が現代の人だったらバリバリ働くわ!無理に結婚しなくていいし無理に子供なんてつくらなくていいわ!」って本心で話していた祖母が素敵で面白かったよ。祖母が休みたい…なんていうことほとんどなく、きっちりしすぎた人だったな。


迷惑かけすぎな父で申し訳ない…

1人で苦しんだのかな…どうだったのかな…


お通夜も告別式も少し先だけど、祖母のいろんな声がみんなで浮かびながら話をすすめているよ。

どうか安らかに眠ってくれているといいな…